実在した空手家、船越義珍氏の生涯を小説にした作品。多少の脚色は当然あると思いますが、一応カテゴリー的にはノンフィクションとしておきます。
船越義珍、本名富名腰義珍は明治元年、首里川の武士(ブサー)の家に生まれ、幼少の頃から体が弱く、今で言うところのいじめられっ子でした。
小さなきっかけから友人の父親に唐手(トゥーディー)を習う事になったのを出発点として、明治、大正、昭和と激動の時代を背景に、生涯を空手に捧げる事となります。
琉球武士の間で密かに伝えられて来た「唐手」をより大衆向けにアレンジした「空手」を発案し、全国への普及に励むものの、本来自らを鍛錬し、高めるための武道だったものが、試合と言えど「戦う」ための武道へと変容し、また同時に体捌きから威力のある一撃を放つという極意が失われ、体格と筋力に勝るものが有利な武道へと変容してゆく。
義珍はただ沖縄の伝統を伝えたかっただけなのに、肝心の魂を抜かれ、似て非なるものと成り果てたままに、名前と形だけが広まっていく。そしてそれはもう誰にも止められない・・・。
先人たちによって練り上げられた唐手に泥を塗ってしまったのではないか、義珍は悩み続けます。本作の肝は恐らく、この伝統と革新のせめぎあいの部分でしょう。
もともと今野氏は過去の作品を読む限り、古流武道の信奉者であり、近代的な体格と筋力に拠る部分の多い武道に対してはやや否定的なスタンスです。
なので、本作も基本的には古流空手の素晴らしさを説くものだと思って読んでいたのですが、最後で軽くひっくり返されました。
"空手が変容してゆくのは生きているからだ。変わらないのは死んだものだ。"
義珍が生涯の最後に辿り着いた悟り、これは今まで武道に対してやや原理主義的だった今野氏自身の悟りでもあるような気がしてなりません。
内容が内容なので、派手な立ち回りも無く、痛快活劇を期待して読むと肩透かしを食らうかも知れませんが、伝記としても小説としても非常に良く出来ていて楽しめました。
空手に関心のある人は読んでおいて損は無いと思います。

義珍の拳
ラベル:書評