2006年08月25日

暁の出撃/ポール・ブリックヒル




はじめに。
トム・クランシーの同名作品とは何の関係もありません。

第二次世界大戦中、特殊爆弾を装備し、驚異的な爆撃精度をもってドイツ軍を震撼させた英国空軍第617飛行隊の活躍を描くノンフィクション戦記です。
序盤は後に617飛行隊によって運用され、大きな戦果を挙げた10トン爆弾「グランド・スラム」開発への道が設計技師の視点によって語られます。
1930年代末、当時一般的な爆弾は250キロ爆弾であり、大型のものでも500キロ爆弾まででした。これらの爆弾は戦術爆撃には必要充分な威力を持っていたものの、戦略目標――特に強固なべトン等で防御された軍事施設に対しては殆ど無力でした。
しかも軍上層部は戦略爆撃用の大型爆弾の必要性については無関心であり、かれらを納得させるべく奮闘する技師の姿がプロジェクトXばりに描かれています。

試行錯誤の末10トン爆弾への第一段階として開発された5トン爆弾。この爆弾をもってして敢行されたルール地方のダム破壊作戦は予想以上の成功を収め、以後爆撃を成功させた617飛行隊と5トン爆弾の組み合わせはドイツ各地の戦略目標に対する爆撃を行い、少なくない犠牲を払いながらも戦果を挙げ続けていきます。
そして念願の10トン爆弾の完成、フィヨルドの女王と恐れられた戦艦ティルピッツへの強襲爆撃、ドイツの降伏。

日本では当時のドイツに対する過大評価があるため、連合軍は単に数に物を言わせてドイツ軍を押し潰したというイメージを持っている人が多い様ですが、実際には数々の新兵器や際どい戦術を駆使し、戦場単位でも互角の勝負を行っていた事がわかります。
それにしても英軍がこうした大型爆弾で主要軍事施設をほぼ壊滅状態に追い込んでいなければ、もし10トン爆弾開発計画が最初の段階で頓挫していれば、(こうした大型爆弾を実用化していたのは英軍のみですから)世界で最初に原子爆弾が投下されていたのはベルリンだったかも知れないと感じました。

なお617飛行隊は欧州戦終結後は対日戦への転戦が決定しており、米軍の九州上陸にあわせて日本の交通網を遮断する任務を任されていたものの、原爆の投下と日本の降伏により終戦を迎えたためわが国でグランド・スラムが炸裂する事はありませんでした。


ラベル:書評
posted by 黒猫 at 14:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦記・ミリタリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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