去る7月18日、ハードボイルド作家のミッキー・スピレイン(本名/フランク・モリスン・スピレイン)氏が逝去されました。私立探偵マイク・ハマーシリーズに代表される数々のタフガイを生み出してきた氏の逝去は多くのミステリー&ハードボイルドファンを悲しませました。
僕も非常に残念です。
そこで今回は本棚を漁って、氏のデビュー作でもある「裁くのは俺だ」を読み返してみました。
同名の大藪春彦氏の小説とは直接的な関係はありません。
発表されたのは1947年と実に60年近く前の作品でありながら、世の悪の構造に関しては現代とさして変っていないという事実。
その割に現代では正義の多様化や人権の拡大など社会全体のインポテンツ化で犯罪者に優しい社会となってしまっており、そんな時代だからこそマッチョズム全開で悪は断固として許さないハマーの姿が輝いて見えます。
ハマーの親友であり、戦争中には彼の命を救ってくれた事もある警官のジャックが何者かに殺害された事から事件は始まります。
凶器は.45口径の拳銃。
親友を殺された怒りからハマーは警察をあてにせず、自らの手で犯人を射殺するべく捜査を開始。
容疑者は次々と浮かび上がるものの、ハマーが接触する片端から殺害されていきます。
これはもう手詰まりかと思えた時、ある小道具が鍵となって一気に解決へと雪崩れ込んでゆく展開にはカタルシスさえ感じさせるものがあります。
そして真犯人との対面、そこで訥々と語られる謎の解明は、ともすれば退屈になりがちなシーンでありながら、ハマーの語りと同時進行で描かれる真犯人の動作によって、まるで綱渡りの様な緊張感が持たされている点も新鮮。
スピレインといえば暴力とセックスというイメージがありますが本書ではベッドシーンはありません。
後のシリーズより謎解きの比重も高いので、(後の作品では謎を推理するよりも怪しい奴は片端から殴り倒して力技で謎解きしている感も・・・)ミステリーとしても楽しめます。
偶然と言うプロットに頼った面もなきにしろあらずですが、偶然というプロットを多用しつつ伏線や全体の構図に齟齬が生じていないのは流石と言うべきでしょう。
26冊目。
ラベル:ミッキー・スピレイン