ストライク・ファイター〈2〉国籍不明機を奪取せよ (ワニ・ノベルス)
ストライク・ファイター〈3〉F22スーパースター出撃す (ワニ・ノベルス)
1990年代はアジアの急速な経済発展が注目された時代で、世界の成長センターだなんだと持てはやされていた記憶があります。
そんな時代に書かれた本作品は、東南アジアの一隅に籍を置く多国籍企業オクテッド社によって開発された新型戦闘機アルトを巡って、アメリカや日本を巻き込んだ謀略戦が繰り広げられると言う内容。
なお、F22の名称がラプターではない件ですが、執筆された当時はまだ試作段階でスーパースターとかライトニングUとか呼ばれていたので、別にミスと言う訳ではないです。。
同じ時期に書かれた大石英司氏の「環太平洋戦争」〜「アジア覇権戦争」のシリーズが、民族問題や宗教問題など多くの矛盾を内包したまま急速な経済発展を遂げるアジア地域というのをテーマにしていたのに比べると、本作品はアジアの勃興の矛盾点にはほとんど触れられず、ただひたすらに当時の上向きの勢いのままに描かれたと言う印象が強い。
そもそも戦闘機の開発には莫大な資金が必要で、新興企業がおいそれと手を出せる分野でもありませんし、資金以上に政治的なしがらみが深く関わってくるのは我が国のFSX計画や台湾の経国戦闘機、イスラエルのラビ戦闘機の前例を見れば判る事。
もっとも、作者は国家と言う枠組みを超越した多国籍企業だからこそそうした政治的しがらみを排除して開発が進んだと言いたげな内容ですが、その辺はやはりナショナリズムの問題もあって無理かも知れない。
或いはアジア通貨危機も無く、アメリカ発の経済危機も無く、今現在もアジアを中心とした経済が上向きだったとしたら、国家意識なんてものはどうなったかはわかりませんけど。
日本がバブル崩壊以降未だに続く冬の時代の中で、マスコミと財界、そしてそれらに洗脳された連中はグローバリズムを声高に叫ぶものの、大半の国民は内向きベクトルの保守的な国家主義に回帰している(そのことの是非は問わない)のを見るに付け、経済がイケイケドンドンな時はナショナリズムは下火になり、逆に経済が不調の時は既得権益を死守すべくナショナリズムが燃え上がる側面は間違いなくあります。
それを踏まえてこの作品を見ると、やはり上で触れたように。アジアの経済がやがて数々の問題と直面する事となるであろう事までは考慮せず、執筆当時の状況がずっと続くものとして書いた気がしてならない。
他にもぱっと出の企業が作って碌なバトルプルーフも経ていない戦闘機が航空ショーで大人気になってみたりとか、アルト戦闘機の原型は元々日本が計画していたもののアメリカの圧力で没になった国産FSXの設計図が流出したものだとか、いろいろ釈然としない所がない訳ではありません。
しかしその辺の事は敢えて気にしないとしても、物語構成がひたすら右往左往するだけなのには致命的に疲れました。
ノベルス3冊分を費やして描かれた物語ですが、主人公槇原がアメリカ―オクテッド―日本の間をふらふらと漂うシーンをばっさりカットすれば半分の分量で纏まるし、もっと引き締まった話になったと思います。
特に余分なシーンばかり多くて、ラストでの養父とのドラマチックな空中戦シーンが思いっきりなおざりに流されているのには泣けてきました。
どうもこの作者は他のシリーズでも物語構成がちぐはぐなものが多いらしくて、あまり長編には向いてない人なのかも知れません。