2008年11月05日

マスードの戦い 長倉洋海 感想

マスードの戦い (河出文庫)
長倉 洋海
4309406475



ソ連によるアフガン侵攻が行われた80年代を舞台としたキャット・シット・ワン'80を読んで、シャー・マスードなる人物に興味を覚えたので読んでみました。

著者が取材を行った時期は1983年という事で、ソ連軍との戦闘がアフガン全土へと拡大し始めた時期でもあり、またマスード率いるゲリラ達が5度に渡るパンジシールへの強襲作戦を潜り抜けた直後の時期でもあります。

著者が取材したゲリラ達は、たとえ戦闘や地雷で片足を失っても、たとえ武器が第二次世界大戦当時の粗末なライフル(英国製のSMLE No.4か?SMLEシリーズは閉鎖機構が粗末で命中精度はあまり良くないが、当時のライフルには珍しく10発弾が入る事と、バレルが肉厚で耐久性に優れているのが利点)しか無くても、ソ連軍をアフガンから追い出す不退転の決意が感じ取れます。
そこには宗教的な背景こそあれど、それ以上に祖国を蹂躙し家族を殺害した者達への深い怒りと憎しみがあるのでしょうけれど。

そうであるだけに彼らを率いるのはかなり困難だと思われるのですが、きちんとした組織形態を構築し、統制の取れた行動でもってソ連軍に大打撃を与え続けてきたマスードなる人物には嫌が応にも興味が湧いて来ます。
この取材当時のマスードは若干29歳。
それでいてゲリラ部隊の総指揮官として敵に恐れられる存在となっていたのですが、ただ文中でも触れられているようにアフガン人の平均寿命は日本人に比べてかなり短く、29歳と言う年齢は日本人で言うと30代後半に相当すると思われますから、あながち若いとも言えないかもしれません。
ともあれ、マスードと言う人物は気さくで好奇心が強く、驚くほどに負の側面がありません。
それはもう出来すぎだと言う位に。
しかし、国家レベルのプロパガンダ用に創り上げた偶像としての英雄ではなく、あくまで一地方のゲリラ司令官に過ぎなかった彼の身分を考慮すれば決してプロパガンダなどとは思えず、実際に人格者であったのだろうと思われます。

もちろん戦いとなると苛烈さを示すものの、降伏したソ連兵を無用に殺害するのを良しとせず、イスラムに改宗することを誓えばゲリラの仲間にでもしてしまう所にまた彼の人間性を感じます。
当のソ連兵にしたら、敵に降伏し捕虜となった兵士が運良く帰国出来たとしても、収容所などでの再教育や場合によっては銃殺等の過酷な運命が待ち受けているのを知っているだけに、命まで取らないどころか条件次第では仲間として扱ってくれるマスード側に協力した方が得策だという打算はあったのでしょうが、それでも仲間は仲間として扱えるところが一軍の将たる器であり、彼のカリスマの源なのかもしれません。

この取材の後更に6年間もソ連との戦いは続き、その後はアフガニスタン内戦を経て一旦は平和が見えたかと思ったら今度はタリバンが台頭、マスード氏は反タリバンの北部同盟軍司令となりますが、あの9.11の1ヶ月前に自爆テロによって帰らぬ人となってしまいました。
その後はテロに対する報復としてアメリカによるアフガン侵攻が行われ、現在に至ります。


かつて故郷のパンジシール渓谷で著者に語った、イスラムの教えに基づいた平和な国を作ると言うマスード氏の夢は、今もまだあくまで夢物語でしかありませんが、いつの日かその夢が現実になる日が来る事を願わずにはいられません。


posted by 黒猫 at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦記・ミリタリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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